聖ヨセフ修道院と聖堂(Igreja e Seminário de S. José  聖若瑟修院大樓及聖堂)

1728年に聖ポール大学とともに創設された聖ヨセフ修道院は、イエズス会によって建築された美しい教会です。中国、日本および近隣における宣教活動の主要拠点でした。聖ヨセフ修道院は大学と同等の教育課程を持ち、1800年にはポルトガル女王ドナ・マリア1世から「伝イエズスの修道士が追放された後、ラザロ派の聖職者たちに引き継がれ、1800年には「レアル・セミナリオ」と呼ばれるようになりました。ドーム型の美しい天井には、「IHS」というイエズス会のシンボルが書かれ、フランシスコ・ザビエルの上腕部の遺骨も祀られているそうです。修道院隣の1758年に建築された聖ヨセフ教会は、ユネスコ2001年発行の「Atlas mundial de la arquitectura barroca」で中国にあるバロック建築の代表作として紹介されており、建築的にも貴重なものです。

マカオの街並

マカオの街並は、他の華僑圏の街(中国本土も含む)に比べると、昔の景観を維持している故か随分と異なります。狭い所に逞しく暮らすと言う意味では一緒なのですが、ポルトガル統治時代の文化の足跡が散見し、それを現代でもうまく活用しているイメージがあります。街自体が思っている以上に清潔でしたし、夜間のライトアップも計算されていて観光客を飽きさせません。道は狭い(昔ながらの道が狭いのは日本も同じですが)区域あたりの人口密度は世界有数にも関わらず、そう感じさせないのは適度な隠密感と間合い、ヒューマンスケールが同居しているからなんでしょうね。

リラウ広場(Largo do Lilau 亞婆井前地)

もともとマカオの主要港だった現在の内港に近いペーニャの丘にある小さな広場。マカオで最初にポルトガル人が住みはじめたのがこの周辺といわれており、当時の主要な天然の水源(井戸)があった場所。ポルトガル人が早くから居住していた地区でした。当時の民謡に「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない。マカオで家を持ち、マカオに帰るだろう」という歌があり、ここから湧き出る水はそれほどポルトガル人によって貴重でした。大きなガジュマルの木がありシンボルツリーになっています。
 

鄭家屋敷(Casa do Mandarim 鄭家大屋)

リラウ広場からすぐの所にある、西洋の建築手法を取り入れた、初期マカオの中国建築。中国近代の文豪・思想家である鄭觀應の故居で1811年に建てられています。敷地面積は4000平方メートル、最盛期では3~400名ほどが居住していたと伝えられています。複数の建物と中庭で構成されており、アーチ型の装飾に灰色レンガを使用したり、インド式の真珠貝の窓枠に中国式格子窓が取り付けられるなど、中国と西洋の影響による様式が垣間みれ、この頃のマカオの特徴である東西文化の交差する様子が伺えます。2002年からの修復で、暫く公開されていませんでしたが、2010年2月に修復を終え、一般公開されています。既にご紹介した 盧家屋敷(Casa de Lou Kau 大堂巷七號住宅)と比べても大屋敷といったかんじで、贅沢に造られています。

港務局 (Quartel dos Mouros 港務局大樓)

イタリア人の建築家、カッスートによって設計されたネオクラシカル(新古典様式)の建築。ムガール帝国の建築様式の影響も見受けます。1874年、マカオの警察部隊を補強するためにインド・ゴアから派遣された連隊(ムーア人兵士)の宿泊施設として建築されました。現在は海事水務局のオフィスビルとして使われています。建物の三方面は回廊に囲まれた(雨をしのぎながら導線を確保できる)上に風通しがよく、湿気や雨の多いマカオの気候に向いた設計で意匠と機能が合理的に結びついています。見ての通り、夜間はライトアップされ、非常に美しく見栄えのする建築物です。

 媽閣廟(Templo de A-Má 媽閣廟)とバラ広場

媽閣廟は、マカオ半島の南端の「媽閣山」に位置し、マカオ内港の入り口に当たります。中国式の非常に歴史ある寺院で、創建は1488年。マカオで最も古い寺院です。山を背に、海に面した媽閣廟の敷地は広く、大殿,石殿,弘仁殿,観音殿などの建築によって構成されています。この女神は現在でも中国沿岸地域や台湾、東南アジア、そして、世界各地の華僑の間で信仰されています。

媽閣廟があるバラ岬(バラはBaraで地名でバラ広場の由来)は、ポルトガル人が初めてマカオの地に上陸した場所であり、最初に植民を行った場所と伝えられており「媽閣」の広東語読みがマカオの名前の由来になったとされています。(ポルトガル人が、現地人に地名を聞いたところ、「媽閣」(マーコウ)と返したため、以後ポルトガル人はこの地域全体をマーコウ→「Macau」と称すようになったと言われている)。祀られている阿媽は海の女神で、台湾や中国南方で信仰されている神様です。ちなみに媽閣廟にある4つある廟のうち、3つに阿媽が祀られています。 マカオ発祥の地であり、由緒正しい古廟です。

マカオの世界遺産巡り。時間の制約とルートを吟味して廻ったので、実際は22カ所。駆け足でしたが、とても楽しかったです。前日までのポストモダンやデコンストラクションの建築に触れるのとは違った、琴線に触れる部分があり、また多くの遺産の保存状態が極めてよい(世界遺産は保存修復の可否も問うそうです)事もあり、非常に有意義な見学が出来ました。歩き過ぎて疲れましたけど、それは覚悟の上でしたし。通常は、今回僕らが廻った逆のコース(Bara広場からスタート)するのが一般的な様ですが、事前に調べた際に「地球の歩き方のお薦めコース」に従って(笑)廻りました。お昼前にマカオに到着して、タクシーで聖アントニオ教会まで行き、そこからひたすら歩きでしたが見学時間を含めても、この22カ所を巡るのに掛かった時間が7時間(途中のランチ休憩の1時間含み)ですから、そんなに無理な行程でもなかったのかなと。ちなみに、僕らが廻ったルートは(香港、マカオ共に)各ページの下にMapとルートを表示しています。

ちなみに香港から渡る際に、マカオに到着したその場で、帰りのターボジェットのチケットを購入(ゆとりを持って)しておいた方がいいです。僕らはエコノミーのチケットが買えずダフ屋で買うか悩みましたが、ダフ屋で買うならスーパークラスで帰ろうという事で(笑)ほぼエコノミーの倍の料金でしたが、軽食付きの2Fラウンジ席でゆったり1時間の船旅が堪能(と言うよりもほぼ爆睡)できました。

Macau / Hong Kong 2014  Vol.9|好吃的吃飯(A delicious meal)のページでご紹介しますが、マカオでの観光を終えたあとにマカニーズのレストランで夕食を済ませていたので、この軽食は全く無意味(お腹が空いていない)で、お世辞でも美味しそうに見えないハンバーガー(笑)のでゆったり爆睡する以外はエコノミーで十分だと思いました。

 

 

Macau & HongKong 2014 Reported by Futoshi Hirasawa

Hong Kong 2014 Vol.1|九龍香格里拉酒店(Shangri-La Hotel Kowloon)
Hong Kong 2014 Vol.2|尖沙咀 (Tsim Sha Tsui)〜油麻地 (Yau Ma Tei)〜Peninsula HK
Hong Kong 2014 Vol.3|Innovation Tower/The Run Run Shaw Creative Media Centre
Hong Kong 2014 Vol.4|朗豪坊(Langham Place)〜力寶中心(Rippo Center)
Hong Kong 2014 Vol.5|PMQ元創方 Complex〜文武廟〜中環至半山自動扶梯
Macau 2014 Vol.6|Macau World Heritage.1
Macau 2014 Vol.7|Macau World Heritage.2
Macau 2014 Vol.8|Macau World Heritage.3
Macau / Hong Kong 2014  Vol.9|好吃的吃飯(A delicious meal)