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デザインカフェ・ブログ
株式会社デザインカフェの代表・主宰者の
平澤太のブログです。デザインワークの
現場のことから趣味の事まで、思ったこと、
考えた事などを書いています。
インターネットで流されたビデオで、彼が小泉総理に、あるいは日本国民に向けて「すみません」と謝っていた、その「すみません」という言葉が、ものすごい違和感として、私に残った。「もう一度、日本に戻りたいです」と、彼は言った。そして「すみません」と言った。私にはその「すみません」の言葉が、とても寂しく響いたのだ。まるで、彼が自分のために日本政府が交渉してくれることを半ばあきらめているように、寂しく響いたんだ。
かつて、……私が子供だったころ。日本の政府は人命を最大に優先していた。一人の命の重さは地球と同じ…という、人道的な視点は国民の総意のようであり、それが政府の方針でもあった時代が、かつてあった。 そういうヒューマニズムが二十世紀の後半から少しずつ変化してきて、いまや命は自己責任の時代に入った。
人質になっても、助けてもらうために意味を問われる時代になった。彼がどんな理由でイラクに入ろうと、彼の命に優劣をつけることはできない。人格と生命は別のものだ。でも、助けてもらうために、自分の意味を問われていると、彼自身も感じていたのだろう。 「ごめんなさい」ではない。「お願いします」でもない。「すみません」には相手との距離感、自分を低く置く謙遜、交渉したい気持ち、遠慮……そういう微妙なニュアンスが含まれていると思う。
「だって、あなた、ボランティアしに行ったわけでもないし、ジャーナリストでもないし、いったいなにしにイラクに行ったの? 無目的でノコノコ危ないところへ出かけて行くような人を助けろって言われてもねえ……」という、日本全体の「やれやれ……」というため息が、彼にも想像できたから「すみません」という一言が出てきたんじゃないだろうか。
私はいま、命を助けてもらうために自分の存在理由を問われる時代を生きているんだ。そういう国に生きているんだな、って改めて思った。そうなったのは政府のせいではないかもしれない。私のなかにできてしまった価値観が、国というシステムに反映されているだけなんだろう。 私は人質になった彼を絶対に何があっても救出してあげたいと思ったか……。切実にそう思ったか。問われたら自信がない。だけど、私がそう思わないのなら、私は自分にも自信がないのだ。私自身の生命が絶対無二で、根拠なくここに存在してよい、という強い自信が、私にないから、他人の存在をも肯定できないのだ。ふたつのことは、実は同じことなんだ。 遺体が見つかったかもしれない……という報道は、ショックだった。
現時点だと、イラクの首都バクダット近郊で新たにアジア人の遺体が手を後ろに縛られた状態で、米国旗に包まれて発見されたようではっきりしたことが解らない状況ですが、政府がパイプ役を依頼していたイスラム聖職者がテロリストとの交渉を拒否したことを考えると事は深刻。
初めの報道を見る限り「無知な日本の若者がバックパッカーで興味本位にイラクへ行った」ように思いました。以前イラクで人質になった方達が無事帰国したときに沸き上がった「自己責任論」と被って報道されたり。今回の初期報道が事実なら、彼はおそらく何も考えないで、ただ現実が見たくて行っただけだろうと思うのだけど政府やマスコミや一部の世論で言う「自己責任」の範疇ってどこまで言っているのだろうか?外務省が告知している「危険度数の高い国への入国」は「国は責任もてませんよ」って事なのだろうか。
入国する理由によって「自己責任」が問われているようには思えないんですよ。前回人質になった方達の中にNGOで現地の復興活動に参加されていた方がいましたが自衛隊と同じような活動を個人の意志で行った人たちですら自己責任を問われたし。
ガイドラインが曖昧なまま、自己責任論が先走りしているようにおもえてならないんだけど、ただ政府を責めるということではなくて、世論・・僕自身もだけど明快に出来るかというと多分説明がつかない。同時に無秩序に「自己責任論」が先走りするのって危険だなと思うんですよね。
PS:10/31 22:30 最悪の事態になりました。ご冥福をお祈りします。。
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