Futoshi Hirasawa

Designcafe™ の主宰者、平澤太のブログです。デザイン考、ライフワーク、インサイト、旅行などを不定期に綴っています。

Macau 2014 Vol.8|Macau World Heritage.3

 

聖ヨセフ修道院と聖堂(Igreja e Seminário de S. José  聖若瑟修院大樓及聖堂)

1728年に聖ポール大学とともに創設された聖ヨセフ修道院は、イエズス会によって建築された美しい教会です。中国、日本および近隣における宣教活動の主要拠点でした。聖ヨセフ修道院は大学と同等の教育課程を持ち、1800年にはポルトガル女王ドナ・マリア1世から「伝イエズスの修道士が追放された後、ラザロ派の聖職者たちに引き継がれ、1800年には「レアル・セミナリオ」と呼ばれるようになりました。ドーム型の美しい天井には、「IHS」というイエズス会のシンボルが書かれ、フランシスコ・ザビエルの上腕部の遺骨も祀られているそうです。修道院隣の1758年に建築された聖ヨセフ教会は、ユネスコ2001年発行の「Atlas mundial de la arquitectura barroca」で中国にあるバロック建築の代表作として紹介されており、建築的にも貴重なものです。

マカオの街並

マカオの街並は、他の華僑圏の街(中国本土も含む)に比べると、昔の景観を維持している故か随分と異なります。狭い所に逞しく暮らすと言う意味では一緒なのですが、ポルトガル統治時代の文化の足跡が散見し、それを現代でもうまく活用しているイメージがあります。街自体が思っている以上に清潔でしたし、夜間のライトアップも計算されていて観光客を飽きさせません。道は狭い(昔ながらの道が狭いのは日本も同じですが)区域あたりの人口密度は世界有数にも関わらず、そう感じさせないのは適度な隠密感と間合い、ヒューマンスケールが同居しているからなんでしょうね。

リラウ広場(Largo do Lilau 亞婆井前地)

もともとマカオの主要港だった現在の内港に近いペーニャの丘にある小さな広場。マカオで最初にポルトガル人が住みはじめたのがこの周辺といわれており、当時の主要な天然の水源(井戸)があった場所。ポルトガル人が早くから居住していた地区でした。当時の民謡に「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない。マカオで家を持ち、マカオに帰るだろう」という歌があり、ここから湧き出る水はそれほどポルトガル人によって貴重でした。大きなガジュマルの木がありシンボルツリーになっています。
 

鄭家屋敷(Casa do Mandarim 鄭家大屋)

リラウ広場からすぐの所にある、西洋の建築手法を取り入れた、初期マカオの中国建築。中国近代の文豪・思想家である鄭觀應の故居で1811年に建てられています。敷地面積は4000平方メートル、最盛期では3~400名ほどが居住していたと伝えられています。複数の建物と中庭で構成されており、アーチ型の装飾に灰色レンガを使用したり、インド式の真珠貝の窓枠に中国式格子窓が取り付けられるなど、中国と西洋の影響による様式が垣間みれ、この頃のマカオの特徴である東西文化の交差する様子が伺えます。2002年からの修復で、暫く公開されていませんでしたが、2010年2月に修復を終え、一般公開されています。既にご紹介した 盧家屋敷(Casa de Lou Kau 大堂巷七號住宅)と比べても大屋敷といったかんじで、贅沢に造られています。

港務局 (Quartel dos Mouros 港務局大樓)

イタリア人の建築家、カッスートによって設計されたネオクラシカル(新古典様式)の建築。ムガール帝国の建築様式の影響も見受けます。1874年、マカオの警察部隊を補強するためにインド・ゴアから派遣された連隊(ムーア人兵士)の宿泊施設として建築されました。現在は海事水務局のオフィスビルとして使われています。建物の三方面は回廊に囲まれた(雨をしのぎながら導線を確保できる)上に風通しがよく、湿気や雨の多いマカオの気候に向いた設計で意匠と機能が合理的に結びついています。見ての通り、夜間はライトアップされ、非常に美しく見栄えのする建築物です。

 媽閣廟(Templo de A-Má 媽閣廟)とバラ広場

媽閣廟は、マカオ半島の南端の「媽閣山」に位置し、マカオ内港の入り口に当たります。中国式の非常に歴史ある寺院で、創建は1488年。マカオで最も古い寺院です。山を背に、海に面した媽閣廟の敷地は広く、大殿,石殿,弘仁殿,観音殿などの建築によって構成されています。この女神は現在でも中国沿岸地域や台湾、東南アジア、そして、世界各地の華僑の間で信仰されています。

媽閣廟があるバラ岬(バラはBaraで地名でバラ広場の由来)は、ポルトガル人が初めてマカオの地に上陸した場所であり、最初に植民を行った場所と伝えられており「媽閣」の広東語読みがマカオの名前の由来になったとされています。(ポルトガル人が、現地人に地名を聞いたところ、「媽閣」(マーコウ)と返したため、以後ポルトガル人はこの地域全体をマーコウ→「Macau」と称すようになったと言われている)。祀られている阿媽は海の女神で、台湾や中国南方で信仰されている神様です。ちなみに媽閣廟にある4つある廟のうち、3つに阿媽が祀られています。 マカオ発祥の地であり、由緒正しい古廟です。

マカオの世界遺産巡り。時間の制約とルートを吟味して廻ったので、実際は22カ所。駆け足でしたが、とても楽しかったです。前日までのポストモダンやデコンストラクションの建築に触れるのとは違った、琴線に触れる部分があり、また多くの遺産の保存状態が極めてよい(世界遺産は保存修復の可否も問うそうです)事もあり、非常に有意義な見学が出来ました。歩き過ぎて疲れましたけど、それは覚悟の上でしたし。通常は、今回僕らが廻った逆のコース(Bara広場からスタート)するのが一般的な様ですが、事前に調べた際に「地球の歩き方のお薦めコース」に従って(笑)廻りました。お昼前にマカオに到着して、タクシーで聖アントニオ教会まで行き、そこからひたすら歩きでしたが見学時間を含めても、この22カ所を巡るのに掛かった時間が7時間(途中のランチ休憩の1時間含み)ですから、そんなに無理な行程でもなかったのかなと。ちなみに、僕らが廻ったルートは(香港、マカオ共に)各ページの下にMapとルートを表示しています。

ちなみに香港から渡る際に、マカオに到着したその場で、帰りのターボジェットのチケットを購入(ゆとりを持って)しておいた方がいいです。僕らはエコノミーのチケットが買えずダフ屋で買うか悩みましたが、ダフ屋で買うならスーパークラスで帰ろうという事で(笑)ほぼエコノミーの倍の料金でしたが、軽食付きの2Fラウンジ席でゆったり1時間の船旅が堪能(と言うよりもほぼ爆睡)できました。

Macau / Hong Kong 2014  Vol.9|好吃的吃飯(A delicious meal)のページでご紹介しますが、マカオでの観光を終えたあとにマカニーズのレストランで夕食を済ませていたので、この軽食は全く無意味(お腹が空いていない)で、お世辞でも美味しそうに見えないハンバーガー(笑)のでゆったり爆睡する以外はエコノミーで十分だと思いました。

 

 

Macau & HongKong 2014 Reported by Futoshi Hirasawa

Hong Kong 2014 Vol.1|九龍香格里拉酒店(Shangri-La Hotel Kowloon)
Hong Kong 2014 Vol.2|尖沙咀 (Tsim Sha Tsui)〜油麻地 (Yau Ma Tei)〜Peninsula HK
Hong Kong 2014 Vol.3|Innovation Tower/The Run Run Shaw Creative Media Centre
Hong Kong 2014 Vol.4|朗豪坊(Langham Place)〜力寶中心(Rippo Center)
Hong Kong 2014 Vol.5|PMQ元創方 Complex〜文武廟〜中環至半山自動扶梯
Macau 2014 Vol.6|Macau World Heritage.1
Macau 2014 Vol.7|Macau World Heritage.2
Macau 2014 Vol.8|Macau World Heritage.3
Macau / Hong Kong 2014  Vol.9|好吃的吃飯(A delicious meal)

 

 

Macau 2014 Vol.7|Macau World Heritage.2

 

聖ドミニコ教会(Igreja de S. Domingos 玫瑰堂)

セナド広場を奥にある教会。1587年にメキシコからやってきた3人のドミニコ会の修道士によって創建されています。中国領土内で初めてポルトガル語の新聞が発行されたのもこの教会。かつては木造だったので「板樟堂(板造り堂)」と呼ばれました。バロック式の祭壇には聖母子像が祀られており、毎年5月13日に行われるファティマの巡礼では、午後6時にここから聖母像がペンニャ教会まで運ばれます。結構見応えのある教会で、教会奥の鐘楼には約300点の宗教品が展示される美術館になっています。

 盧家屋敷(Casa de Lou Kau 大堂巷七號住宅)

中国広東省出身の商人だった、盧華紹の1889年に建てられた邸宅です。盧華紹は18世紀半ばにマカオに移り住み、銀行業や不動産業ななどで財を築きあげました。セナド広場の近くにあり、建物は灰色レンガ使いの2階建てで中庭のある伝統的な中国式の住居ですが、西洋様式や風水設計も取り入れた独特なもの。この頃のマカオの多様な社会構造(マカニーズ)を建築として表現した貴重なものです。この邸宅の素晴らしいのは、その間合い。決して大きな家ではないのですが、コンパクトながら採光や縦横の視線の抜けを意識していて、相当な美意識を持たないと造れない家です。大きさ=贅沢という概念から逸脱している点でも後に見る鄭家屋敷とはかなり異なります。

大堂周辺(Igreja da Sé 聖母聖誕主教座堂周辺)

正確な建築年数は記録されていないものの、堅固なレンガ造りになったのは1622年ごろ。その後台風で損傷したため1844年から1850年に再建されています。マカオ教区の司教座があるため、新任のマカオ総督はここで祝福を受けること慣わしで。外観はレンガの上に上海漆喰が塗られ、均整の取れたプロポーションの柱と鐘楼が特徴です。目の前の広場は噴水があり、セナド広場(後述)の喧噪から離れているので、ほっとします。昔は周りに高層ビルがなかったため、それから海を眺めることができたので、船乗りの妻たちはこの教会で夫が帰ってくるのを見ていました。そのため「望人寺(人待ち寺)」とも呼ばれていたそうです。「キリスト受難行列」の儀式もここで行われているそう。ちなみにこの廻りにはポルトガル料理やマカニーズのレストランが点在しているので食事にはもってこいですよ。

セナド広場(Largo do Senado 議事亭前地)

聖ポール天主堂跡と並ぶ、マカオ観光の顔になっている広場。ここまでに見た教会などのヨーロッパ建築は、ルネサンスやバロック建築の影響を受けているのに対し、このセナド広場に面している建物は、時代的に新しくネオクラシカル(新古典主義)の影響を受けています。広場はマカオの目抜き通りで通称「新馬路」(Avenida de Almeida Ribeiro )に面しており、付近には1929年に創建の郵便局や新古典主義様式の仁慈堂大楼など、マカオの歴史を感じさせる美しい建物が並んでいます。広場の中央にはポルトガルの大航海時代を象徴する地球儀をモチーフにした噴水があり、広場のシンボルになっています。ちなみに今年は、ポル トガルから中国へ返還されて丁度15周年という事とクリスマスが重なり、お世辞でも美しくない華美なツリー&ディスプレイが飾られていました。個人的にはかなりがっかり・・

三街會館  Sam Kai Vui Kun (Templo de Kuan Tai) (關帝廟)

1792年に建てられた関帝を祀る廟。関帝は三国志の英雄「関羽」の事で、マカオに限らず華僑圏では加護と安定をもたらすとして多くの人が家庭や職場で関帝を祀っています。この廟はかつての「三街会館」で、付近にある營地大街、関前正街、草推街の商店会議所の役割を果たしていました。公民館のようなものですね。1912年にマカオ中華総商会という団体ができてからは三街会館としての役割は終わっています。規模も小さく、寄り合いをするにはちょうどいい空間。

ロバート・ホー・トン図書館  Biblioteca Sir Robert Ho Tung (何東圖書館大樓)

1894年以前に建築されたもので、ポルトガル人のドナ・キャロリーナ・クンハの住居を、香港の実業家でカジノ王、ロバート・ホー・トンが1918年に購入して、主にマカオ滞在時の別荘として使用していた建物。ロバート・ホー・トンの死後、遺言により建物はマカオ政府に寄贈され、1958年にリノーベーションされて図書館となりました。2005年に図書館の新棟ができ、マカオ最大の図書館として市民に利用されています。クリームイエローの鮮やかなネオクラシカル様式の建物は、内部に豊かな庭園があり、学生でにぎわっています。

 聖オーガスティン教会 Igreja de Santo Agostinho( 聖奧斯定教堂)

1586年にスペインから来たオーガスティン修道会によって創建された修道院が元の姿で、現在の建物は1874年に再建されたものです。主祭壇にある十字架を担いだキリスト像は、毎年四旬節の最初の日曜日に「キリスト受難行列」の儀式の中で、いったんカテドラルに運ばれた後、翌日にこの教会に戻されます。 再建年次も古いので、ネオクラシカルよりも前のゴシック様式が垣間みれます。ちなみに、この隣には聖オーガスティン広場があり、ドン・ペドロ5世劇場、聖ヨセフ修道院及び聖堂、ロバート・ホー・トン図書館という4つの世界遺産建築物に囲まれています。

ドン・ペドロ5世劇場 Teatro D. Pedro V (崗頂劇院) 

1860年にマカオの男性社交クラブである「マカオクラブ」が主導して建設された、アジア初の西洋式の劇場。ポルトガル国王ペドロ5世に敬意を表して、この名前がつけられています。当初は男性専用の社交場でしたが、その後は劇場として使用され、「マカオ劇場」と呼ばれたこともありました。マカニーズ社会の文化の象徴としての側面を持ち、普段は内部は公開されていませんが、300席あるホールでは、マカオオーケストラのコンサートなどで時々使用されています。見学した日もちょうどバイオリンコンサートのリハーサルをしていました。。

 

 

 Photo@ Hirasawa Futoshi 

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Macau 2014 Vol.6|Macau World Heritage.1

Macau 2014 Vol.7|マカオ世界遺産巡り vol.2

 

3日目は、マカオへ。主に世界遺産に指定された25の遺跡や寺院(マカオ歴史街区地区)を中心に見学してきました。Designcafeの研修旅行は「現代」と「遺跡」の両極端のテーマがあるのですが w 今回のマカオは後者。今回ベースのホテルが香港なので、ジェットフェリーでマカオに渡りました。マカオへは、九龍のチャイナフェリーターミナルから噴射飛航で約一時間の船旅から。エコノミーで一人当たりHK$164(入国手数料込み)。ちなみにこのチケットは、ダフ屋のおばさんから売り損ねのチケットを購入したので額面よりも安く乗れました。。道中、中国大陸からの観光客と大多数と便乗したのですが、完全アウェイですね。笑 わいわいがやがやで、賑やかを通り越してうるさいです。朝早かったので少し仮眠したかったのですが、全く寝られませんでした。笑

 

聖アントニオ教会

マカオマリタイムフェリーターミナルに到着してタクシーで世界遺産群の北側から聖アントニオ教会へ向かいました。1560年に竹と木で建てられたマカオでも最も古い教会の一つで、イエスズ会が初期に本部を設置下教会としても有名です。丁度営繕工事中でしたが内部は普通に見学出来ました。現在の姿は、1930に改装した姿なので歴史を反映させた建物ではないのですが、クリームカラーの美しい内装で、見る人を和ませます。マカオの教会は鮮やかなカラーを施した教会が多く、ロココの影響も色濃く反映されています。現地のポルトガルコミュニティの人々たちはここで結婚式を挙げるのが通例だったことから(花が絶えないと言う意味で)花王堂という名がついています。見ての通り改修中です。

 

カーサ庭園&プロテスタント墓地

次は、歩いて1分のところにある カーサ庭園へ。1770年代に建てられた、ルイス・カモンエス公園とプロテスタント墓地の間にある庭園と洋館で、元々は地元の名士マヌエル・ペレイラ(庭園内に銅像があります)の別邸。その後、東インド会社が警備員やスタッフを駐在させ、現在は東方基金会という財団の本部として使用されています。 プロテスタント墓地は、1821年に造成された、初めてのプロテスタント墓地でマカオ在住のイギリス人画家、ジョージ・シナリーやマカオ来訪初の宣教師ロバート・モリソン(聖書の中国語訳を作った人でも有名)の墓所でもあります。入口にはモリソンに敬意を表して名付けられたモリソン礼拝堂があります。

 

 ナーチャ廟&旧城壁 (Troço das Antigas Muralhas de Defesa 哪吒廟、舊城牆遺址)

次は、 ナーチャ廟&旧城壁へ。聖ポール天主堂跡の隣にある小さな廟と城壁です。ナーチャ廟は1888年創建の小さなお寺で神童ナーチャをまつる為に創建されています。ナーチャは孫悟空にも登場する武芸の達人で、疫病退治の神様としても有名。小さなナーチャ廟と隣接する聖ポール天主堂跡の関係性がマカオの東西交流を表している所が興味深いです。このナーチャ隣接しているのが、同じく世界遺産に認定された旧城壁。この壁は1569年にポルトガル人が町を守る為に築いたもので、材料はシュナンボーという、土砂や藁、貝殻を混ぜたもので出来ています。この辺を見てもポルトガル人がその地域に土着した技術を活用している様子が伺えますね。ちなみに汚い壁とかいうとバチが当たります、多分。

 

 聖ポール天主堂跡 (Ruínas de S. Paulo 大三巴牌坊)

次は、 聖ポール天主堂跡へ。マカオを代表する世界遺産。イエスズ会によって1582年から1602年に建築されたこの天主堂は、当時のアジアでは最大のカトリック教会です。すぐ横にはアジア初の大学、聖ポール大学があったそう。1835年の火事で教会のファサード面と68段の階段だけが残されましたが、ファザードの彫刻は見事で、「石の説教」と言われるほどに宗教的な意味が彫られています。ファザードの下から2段目のキリスト教の4名の聖人像にはフランシスコ・ザビエルを見ることができます。このファサードは、当時のカトリック建築の手法をそのまま垣間みることができて、例えば石の階段の上に立てる事で(実際の建築の規模よりも遠近感によって)大きく見せたり、上段程フロアピッチが狭くなる事で、建物正面に立った時に高さが誇張されます。デフォルメがあちこち仕掛けられているわけです。また、裏手地下にある天主教芸術博物館には宗教美術品が展示されていて無料で鑑賞する事が出来、貴重な宗教遺産を垣間みることができます。 

 

 モンテの砦(Fortaleza do Monte 大炮台)

1617年から1626年の間にイエズス会の修道士によって築かれたマカオ最強の防御要塞。敷地面積は8000平方メートルで、大砲、宿舎、井戸の他に二年間の包囲攻撃に耐えうるだけの兵器を造る工場や備えもあったそうです。四方の角に突起状の城壁があり、上から見ると函館の五稜郭のような独特の形状をしています。1965年から1995年の間には、ここに気象庁舎が設置され、その後1998年にマカオ博物館が完成しています。ちなみに僕たちは、この砦に天主堂から徒歩で階段を上ったのですが、右側にあるマカオ博物館行きのエスカレーターに乗るとそのまま上に上がれるそう。結構きつい階段だったので、行かれる方は是非エスカレーターで。笑

 

 Photo@ Hirasawa Futoshi 

Macau & HongKong 2014 Reported by Futoshi Hirasawa

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