平澤太

Designcafe™ の主宰者、平澤太のブログです。デザイン考、ライフワーク、インサイト、旅行などを不定期に綴っています。

大阪万博1970 デザインプロジェクト

国立現代美術館で開催している「大阪万博1970 デザインプロジェクト」展を観に行ってきました。1970年3月15日から開幕した大阪万博(日本万国博覧会)は日本初の総合博であり、会期中の6カ月で6,421万人が来場。日本初の万博であり、企画も運営も全て未知の世界である大阪万博は、デザイナーにとっても空前の大舞台であり、実験の場でもあった訳です。「大阪万博1970 デザインプロジェクト」展は、万博成功の裏方でもあるデザインに焦点を当て、読み解くことにフォーカスを当てた企画展です。

 

大阪万博の開催が正式に決まったのは、東京オリンピックの翌年1965(昭和40)年。4年半後の開催に向けて矢継ぎ早に準備進める訳ですが、東京オリンピックでも活躍したデザイナー(大御所の先生たちですね)が早速テーマの決定、基本構想の策定、シンボルマークの制定などを進めます。国内外に周知させる、もしくはアピールする為にはやはりシンボルとキービジュアルが必要ですから、先陣を切る訳です。このシンボルマークは紆余曲折あって、コミッティによって最初に選ばれた公式シンボルマーク(デザイン:西島伊三雄)に当時万博協会の石坂泰三会長から物言いが入り、再度選定しなおされます。最終的な公式シンボルマークをデザインされたのは大高猛さんの案。5枚の桜の花びら(=日本)に見立てながら5大陸(=世界)も暗喩させる洗練されたシンボルです。今回の展示の良い所は、選定から漏れたシンボルマーク案も公開している所で、亀倉雄策さん、田中一光さん、仲條正義さん、永井一正さんらの競演が見られます。ボツ案ってなかなかお目にかかれないですから。。

 

 

第二部では、環境デザイン面にフォーカスが当てられています。会場構成、建築(お祭り広場や各種パビリオン)、サイン計画、バスシェルターや電話ボックス、モノレールなど主にインフラ面を支えたデザインです。1967(昭和42)年3月からスタートした造成工事は、日本のイベントではオリンピックでも経験していない「1つの会場に50万人超の来場者が来る事」を想定し、この当時から見た近未来の都市をイメージした計画を立案。チーフプロデューサーである丹下健三の基本構想のもと、イベントの中心となるテーマ館(太陽の塔)や劇場、美術館などを集めたシンボルゾーンを「木の幹」とし、動く歩道を「枝」に見立て内外のパビリオンを「花」に見立てています。

日本では高度成長期のイケイケなマインドだったと思いますが(笑)、万博の傾向として「見せる万博」から「考える万博」へとその性格を大きく変えています。公害や人口爆発、資源の枯渇など様々な地球上の問題が顕在化し、国単位ではなく地球上に住む一人一人が考えなければならない問題に直面したからなのでしょうね。大阪万博が採択したテーマである「人類の進歩と調和」は、人類の進歩を讃えるだけなく、科学技術の進歩がもたらすさまざまな負の側面にも目を向けようという趣旨は当時画期的でこの理念を表現すべく「お祭り広場」が構想され、その中心に岡本太郎による「太陽の塔」が作られ、テーマ展示が展開された訳です。 

 

デザイナーにとっては、万博開催という莫大な予算が投じられた事で、通常の仕事では経験できないようなスケールの大きな仕事に関わる事ができたことも見逃せません。

メインパビリオンである「日本館」・・上から見るとシンボルマークのようにデザインは、河野鷹思をはじめ、田中一光、高村英也、古畑多喜雄、粟津潔、中村真、田村倫昭らが展示計画を作成。横尾忠則がディレクションしたせんい館は、今で言うディコンストラクションのような外観で異彩を放っており、会場では若いデザイナーの競演の状態。 また木村恒久は「矛盾の壁」という題でフォトモンタージュを製作。当初は、原爆投下直後の広島・長崎の記録写真をもとに作品を創っていますが、開幕1カ月前に政府からクレーム(あまりに生々しく凄惨だったため)が出されたため急遽変更を余儀なくされています。この結果、悲惨な内容は目立たなくなりました。この章で思ったのは、若いデザイナーが遠慮せずにエネルギーをぶつけている感があって、この絶好の機会に自分のクリエイティビティーを遺憾なく発揮しよう・・そんな強い意思が作品全てから伝わってきます。前例の無い仕事だけに大変なのは間違いないのですが、その個の力に圧倒されます。

最終的には、大阪万博は半年の会期中に6,421万人が来場、大成功をおさめました訳ですが、この「大阪万博1970 デザインプロジェクト」では、大阪万博を成功に導いたデザインワークを振り返ることで、デザイナーにとって万博とは何だったのか考え、また個の力から集合知に向かうパワーを感じる事ができます。デザイナーの皆さんにお薦めの展覧会です。。

  • 会場 東京国立近代美術館 〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1
  • 電話:03-5777-8600(ハローダイヤル) 東京国立近代美術館 
  • 会期 2015年3月20日(金)~2015年5月17日(日) 
  • 料金 一般 430円 (220円) 大学生 130円 (70円) 
  • *( )内は20名以上の団体料金 *高校生以下および18歳未満、
  • 65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、
  • 友の会・賛助会会員、キャンパスメンバーズ、
  • 障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。 
  • イベント開催中の休館日 月曜日(3月23日、30日、4月6日、5月4日は開館)
  • URL http://www.momat.go.jp/Honkan/expo70/index.html

2015 人形町の桜並木と浜町公園の夜桜とカメラ

10年前から事務所(と6年前からは住まいも)を人形町に移してから撮影している桜です。定点観測すると同じように見えても微妙に変化があったりします。この間撮影に使用したカメラもRICOH GR-Digital2から始まってCanon EOS7D、Olympus E-P2と代わり、今はFujifilmのX-Pro1とX-M1で撮影していて、カメラの個性がこの微妙な変化を生んでいる事も大きいです。

2013年に7DとE-P2を手放して手に入れたカメラX-Pro1は、Fujifilmが満を持してリリースしたXシリーズの最高機種で独自開発したAPS-Cサイズのセンサーを搭載するミラーレス機です。フィルムメーカーらしく往年のフィルムを再現したフィルムシュミレートが撮影する楽しさを与えてくれます。見た目もレンジファインダーライクなデザインなので所有欲も上がりますし。笑)この後にこのカメラとレンズ共有できるサブカメラ(コンパクト機の代わり)としてX-M1も購入するのですが、こちらは鞄の中に入れっぱなしにしていて、気づいた時にすぐ撮れるようにしています。iPhoneのカメラでも良いのですが、後々の記録とするのであればマニュアルで想いのままに撮れるカメラの方が、断然良いと思うからです。

今回の桜の撮影では、二台を併用しました。無理な体勢で撮影する時はライブビュー付きのX-M1を、じっくり味わって撮影する時はX-Pro1を(笑)それぞれ使い分けています。さらに夜桜で手持ち(ブレ易い)なので解放値の高い明るいレンズ標準レンズXF35mmF1.4と広角なXF18mmF2の二つのレンズを使い分けています。このくらい明るいレンズだと、手持ちでもシャッタースピードを上げられるので背景をぼかしながら手前の花びらをマクロで撮る事ができて楽しいです。

僕くらいの未熟なテクニックだとカメラの能力に負うところが大きくて、如実に結果が出ますね(笑)もっと腕を上げたいです。。

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東京都庭園美術館リニューアル記念・アーキテクツ1933

東京都庭園美術館。エントランスまでの植樹。FUJIFILM X-M1+XF18mm F2 Velvia

東京都庭園美術館。エントランスまでの植樹。FUJIFILM X-M1+XF18mm F2 Velvia

東京都庭園美術館がリニューアルオープン。

昨年末に開催していた「東京都庭園美術館リニューアル記念・アーキテクツ1933」の展覧会。公開記念展示は終わってしまったのですが、素晴らしい周辺環境と見事な調度品、そして3年の歳月を掛けて修復された建物とインテリアによって往時の様子が再現された素晴らしい記念展でした。東京都庭園美術館は、本館と新館に分かれていて、いわゆる美術館としての機能は本館裏側にある新館に集約されていて、本館は年に数回一般公開されるのみとなっています。本館そのものが都の文化財に指定されているからです。

(さらに…)