ル・コルビュジエ、アントニン・レーモンドを師事し、モダニストとして第二次世界大戦後の日本建築界をリードした建築家、前川国男(1905-1986)の自邸です。品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅。この前川国男の自邸も、土浦亀城夫妻の自邸同様、戦時体制下の建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。 外観は切妻屋根の和風、内部は吹き抜けのリビングを中心に書斎・寝室を配したミニマムな間取りになっています。一見すると、モダニストらしからぬ風情のある佇まいですが、アプローチから中へ入ると一変します。

書斎を正面に左手に入ると、パーテーション(仕切)を兼ねた大判のドアがあり、リビングへと繋がります。このリビングの開放感と窓越しの抜け感が抜群に良いのです。正方形の格子窓が端正な佇まいを与え、ペンダントライトを設える事でさり気なく垂直基調を誇張しています。この格子窓が開口部に量感を与え、意識を向けています。窓の向こうの風景は、移設されていますから建築当時とは異なりますが、きっと素晴らしい景観があったはずです。

大判のドアは、ル・コルビュジエのアトリエのドアと同じ仕様で創られていてパーテンションの役目も果たしており、リビングセットを玄関から見た時に緩やかに視線を遮る役割も果たしています。またこのリビングが、コルビジェが提唱している「近代建築五原則」のピロティに似た役割を果たす位置づけになっていて、その証左として南北方向の開口と導線の交差しながら、開口部を開く事で得られる遮断されない一続きの空間が生まれています。外と中を緩やかにつなぐことで自然を愛でた日本の住環境にも繋がるアプローチをモダニストらしくプランニングしています。

このような豊かな空間を戦時中、「資材統制」や「木造建築統制(床面積100平米以上の新築の家は認めない)」という統制の縛りにも負けずに生み出せた事は称賛に値します。例えばダイニングテーブル上にある昇降式のペンダントライトは真鍮で出来ていますが、下部はパンチング加工されており光源そのものが目に入って来ないようにグレアレス化されています。この照明器具一つとってもかなり情熱を注ぎ込んでいる様子が垣間みれて、相当苦労したのではないかと察する事ができるのです。寝室も然りで、木窓の割り付けが絶妙。

 ちなみに入り口側の庭は、移設前の庭の姿を忠実に再現したらしく、適度な間合いと植栽のボリュームが見事で、この住宅の魅力さらに引き出しています。建てておしまいではなく、庭というアイソレーションも含めてしっかりプランニングされている。住宅では建物だけでFIXするのではなく庭も含めてデザインなのです。それも建築を引き立たせるだけの植栽ではなく、心地よさのバランスを掛け合っている庭なのです。この部分、設計する立場として間違いなく我々は失い過ぎています。

ちなみにこの「前川邸」は1973年にが引っ越したあと解体されていますが、「壊すのはあまりにももったいない」とのお弟子さん達の訴えにより、部材が軽井沢の別荘に保管されていたそうです。その後1996年に、「江戸東京たてもの園」に無事復元されました。建築の素晴らしさは、そのスケールや素材に触れない限り魅力を味わえませんからね。百聞は一見にしかず。本当に素晴らしい住まいでした。