脱線事故で露出の多いJR西日本ですが、時が経つにつれて経営方針や会社の体質に問題があるような記事を多く見かけます。その中で先週のAERA(5.23号)で日本を代表する哲学者、梅原猛さんが14年前の京都駅ビルコンペ審査員の体験から「今までの人生でいちばんいやな思いをした会社はJR西日本」と述べています。
これはコンペの審査過程での事ですが、審査した審査員(梅原猛さん、京大の川崎教授、京都商工会議所の塚本会頭、建築家で関空設計のレンゾピアノ、建築家ハンス・ホライン、JR西日本の取締役他数名)のうち、梅原さんと塚本会頭、レンゾピアノ、ハンスホラインは安藤忠雄のプランを推したそうです。それに難癖つけたのがJR側で「金がかかる」「高さの問題で建築が難しい」「危険である」と。要はプログラムの中に「高さの制限はない」としておきながら、結局ビルの高さが一番低い原広司のプランで決まったいきさつがあったようです。この決定過程の会議でレンゾピアノは激怒して、退席しレセプションも欠席。ハンス・ホラインも「我々専門家の意見をなぜ尊重してくれないのか」と嘆き、梅原さんも猛抗議したようですが最初から結果が決まっていた、出来レースだったことが京都駅ビルコンペの真相のようです。これは国辱だと抗議に対しても聞く耳持たず、JRの役員はせせら笑って相手にされなかったと記されています。
要は伯をつけるために地元の有力者、世界的著名な建築家、有識者を集めたに過ぎないのではないかと言っているわけです。このコンペは当時からその後数年物議を醸したのですが、当時僕は日本にいなかった事と今のようにインターネットが無かった事もあって、専門誌でその背景やいきさつを知る程度でした。また、最終的に決まった原広司のプランも京都駅を南北に分断してしまうプランで、建築業界の人たちだけでなく京都の住民からも疑問の声が挙がった事もあり設計内容に対して物議を醸したような記憶があります。コンペを決定するプロセスで「裏の事情」があった事を知って、とても残念でなりません。公平であることがコンペの最低条件な訳ですからね。
このコンペの真相を梅原さんはメディアを使って公表するのですが、それに対してJR西日本は逆上し「審査員に選んでやったのに何をするか」と言ったようです。プロセスに問題があるのに判っていないわけですね。”人を人と思わない企業体質”という梅原猛さんからの厳しい指摘をJR西日本の新しい経営陣が真摯に受け止めて、なぜそのような組織体質になってしまったのか改めて考えないと変わらないと思います。その原因を突き止めることができれば組織風土は変わるかもしれませんね。