Designcafe-Blog | ブログ

Designcafe™ の主宰者、平澤太のブログです。デザイン考、ライフワーク、インサイト、旅行などを不定期に綴っています。

– 憧れのモダン住宅展 – 江戸東京たてもの園

先日、江戸東京たてもの園で開催中の”憧れのモダン住宅展・土浦亀城・信子夫妻の提案”を観に行ってきました。前々から行ってみたかった江戸東京たてもの園ですが、郊外にあることもありなかなか行けなかったんですね。展示目的ではあったのですが、いい機会なので脚を運ぶことにしました。

大学時代にアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルの建設に関わり、卒業後、妻の信子とともに渡米、1923年から25年までフランク・ロイド・ライトの事務所で学んだ建築家、土浦亀城夫妻の足跡を辿る展示会で、そのメインは自邸。人生で2度自邸を建てている土浦亀城ですが、1935年竣工の二度目の自邸の1/5のモックアップモデルを中心に貴重な図面と文献で構成されています。 1930年代の世界の住宅建築の潮流に影響を受けながら(特にBauhausの影響は顕著でフランク・ロイド・ライト門下生としては意外な感じ)、経済性・汎用性の高い木造でチャレンジし、当時としては画期的な大開口部を配したプランニング、それ故のディティール処理と解決方法、苦労が見える新建材へのチャレンジなど、当時の状況化に対しての積極的なアンチテーゼとも取れる手法は、今見ても新鮮です。

建築は特に時代性や社会性が如実に出ますから、現在では一般的でポピュラーな手法が当時は難しかったり、逆に現在の経済性一辺倒の住宅建築では贅沢で出来ない納まりなど発見も多く、畳を否定的に捉えているところなども興味深いものでした。 1935年は第二次大戦が始まった年で、戦時統制化でなかなか材料が揃わなかった訳ですから、相当な情熱をもって取り組まないとなし得なかった住宅とも言えます。

 この展示のもう一つ面白かったのは信子の視点です。夫妻で建築家&フランク・ロイド・ライト門下生でしたが、信子は後に建築の道ではなく、抽象画や写真の道に進みます。特に二度目の自邸建設後は、一般生活者としての視点で主に雑誌面上に発表の場を変えていくのですが、当時の主婦が置かれていた過酷な家事環境を鑑みたコンパクトな住環境を提唱しています。当時の世界的な潮流でもあった集合住宅が(耐震性や耐火性の観点も含めて)いずれ日本でも発展していく事を予測しつつ、文化的な設備(と言う所が時代性を感じますが)として水洗トイレ・温水の供給・暖房の完備などを一般の人にも供給されれば召使いの手伝いもなしに暮らせる事を説いています。そのためには、建築側の提案ではなく、主婦の観点で問題解決をするべきと紙面を結んでいて、当時としてかなり画期的で踏み込んだ提言をしています。

住宅を見栄え中心で客間優先で創られていた時代に、日本の土地事情と建築技術を巧みに使いながら問題解決を計っています。そう考えると現在の住環境は当時に比べれば格段に進み、殆どの問題を解決していますが、経済性の高い建売木造住宅は合理性一辺倒でお世辞でも美しい住まいとは言えません。環境デザインの一環として住宅も手がける僕たちにとっては、もう一度原点回帰する為の良い展示会でした。

 

ニッチな高架下施設。mAAch ecute (マーチ・エキュート)

昨年完成した mAAch ecute 神田万世橋 (マーチ・エキュート)に行ってきました。完成時に行きたかったのです、繁忙期で逃してしまい2月にようやく行くことができました。近いのに・・mAAch ecuteは、かつて中央線神田~御茶ノ水間に存在し、31年間利用された旧万世橋駅の階段やプラットホームといった遺構を生かし、JR東日本、JR東日本ステーションリテイリング、東日本鉄道文化財団が再開発した全11ショップからなる商業施設です。遺構と商業施設(といってもかなりコンパクトな施設ですが)のコンプレックスというアイデアが面白く、完成当時はかなり注目を集めましたよね。

階段やプラットホームといった遺構が見学できるように「再生」されており、施設と商業エリアが一体化しているのが特徴な訳ですが、中に展開しているショップも食を中心としながらも生活雑貨や地方の名産品も売られておりかなり異色である事は間違いありません。以下関係者概要説明の引用ですが

「マーチエキュート神田万世橋」は、中央線神田~御茶ノ水間の旧万世橋駅遺構と一体化した商業施設。内覧会では、JR東日本ステーションリテイリング代表取締役社長、三井剛氏が施設概要を説明した。「9月14日、かつて旧万世橋駅、その後の交通博物館があったこの地、神田須田町に、『マーチエキュート神田万世橋』が『再生』します」と三井氏。万世橋駅開業から100年にわたる歴史・文化を大事にし、残された遺構を最大限に活用した施設として「再生」させたいとの思いがあるという。 同施設の開発コンセプトは「万世橋駅サロン」。鉄道遺構の魅力を生かしつつ、神田川に面した「ノースコリドー」、JR神田万世橋ビルに面した「サウスコリドー」に、趣味性・嗜好性の高い常設ショップと期間限定ショップがそろう。「100年前からの歴史的価値と、これから提供する新しい価値が融合した、唯一無二のサロンになってほしい」と三井氏は述べた。
神田の旧万世橋駅”再生”、9/14開業「マーチエキュート神田万世橋」 | マイナビニュース

かなり意欲的な部分が窺い知れます。実際JR系の開発会社は意欲的な開発を行っています。エキナカの概念を作ったecute然り、アルチザン=職人の街として栄えてきた秋葉原ー御徒町エリアに工房を併設したショップやものづくりの体験が出来る”情報の集積場”としての機能を持たせた2k540 AKI-OKA ARTISANも然り、中央線阿佐ヶ谷駅から高円寺駅にかけての高架下開発でアニメーション制作会社が多い杉並区という“アニメを生む街”の土地柄を活かしたスポットとして計画された阿佐ヶ谷アニメストリート然り、その豊富な鉄道施設のストック(高架下やエキナカのような遊休してた空間)を活用する開発が目立ってきました。 ただ、近年の特徴はその活用する目的が非常にニッチになってきている事。

主に倉庫や駐車場として利用され、殺風景な印象もある鉄道高架下の再開発が進んでいる。地域の特性を生かしてアニメ関連や工芸品の専門店街を展開したり、スポーツジムを設けたりと多様だ。鉄道各社は魅力的な空間に変身させることで、駅ナカ(駅構内の商業施設)のような集客効果を狙っている。・・・これまで駅チカ(駅の地下街)や駅ナカの飲食施設などの充実に力を入れていたが、「高架下の積極活用や暗いイメージの払拭にまでは気が回らず、後回しになっていた」(業界関係者)

まあ、わかり易いですよね。高架下を駐車場などの不動産的な価値として捉えるよりも、特定的で副次的な産物(賑わいや物流)を生み出した方が、鉄道会社にとっても遥かに効率的でベネフィットがありますから。今のところこのニッチな施設への流れは都心に限られている様ですが、高架下の利用で最も多い「駐車場」と「レンタル納戸」の稼働率(平均15%と言われている)を鑑みると、まだまだ加速しそうです。私鉄各社も身を乗り出して開発していますし、ローカライズされた魅力のある商業施設・文化施設・スポーツ施設に転用出来れば新築で一から創るよりも遥かに低いコストで創る事ができます(構造体の下に建造するので雨仕舞いの簡素化が期待出来る)し、開発余地が大きいですね。

– 前川國男邸- 江戸東京たてもの園

ル・コルビュジエ、アントニン・レーモンドを師事し、モダニストとして第二次世界大戦後の日本建築界をリードした建築家、前川国男(1905-1986)の自邸です。品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅。この前川国男の自邸も、土浦亀城夫妻の自邸同様、戦時体制下の建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。 外観は切妻屋根の和風、内部は吹き抜けのリビングを中心に書斎・寝室を配したミニマムな間取りになっています。一見すると、モダニストらしからぬ風情のある佇まいですが、アプローチから中へ入ると一変します。

書斎を正面に左手に入ると、パーテーション(仕切)を兼ねた大判のドアがあり、リビングへと繋がります。このリビングの開放感と窓越しの抜け感が抜群に良いのです。正方形の格子窓が端正な佇まいを与え、ペンダントライトを設える事でさり気なく垂直基調を誇張しています。この格子窓が開口部に量感を与え、意識を向けています。窓の向こうの風景は、移設されていますから建築当時とは異なりますが、きっと素晴らしい景観があったはずです。

大判のドアは、ル・コルビュジエのアトリエのドアと同じ仕様で創られていてパーテンションの役目も果たしており、リビングセットを玄関から見た時に緩やかに視線を遮る役割も果たしています。またこのリビングが、コルビジェが提唱している「近代建築五原則」のピロティに似た役割を果たす位置づけになっていて、その証左として南北方向の開口と導線の交差しながら、開口部を開く事で得られる遮断されない一続きの空間が生まれています。外と中を緩やかにつなぐことで自然を愛でた日本の住環境にも繋がるアプローチをモダニストらしくプランニングしています。

このような豊かな空間を戦時中、「資材統制」や「木造建築統制(床面積100平米以上の新築の家は認めない)」という統制の縛りにも負けずに生み出せた事は称賛に値します。例えばダイニングテーブル上にある昇降式のペンダントライトは真鍮で出来ていますが、下部はパンチング加工されており光源そのものが目に入って来ないようにグレアレス化されています。この照明器具一つとってもかなり情熱を注ぎ込んでいる様子が垣間みれて、相当苦労したのではないかと察する事ができるのです。寝室も然りで、木窓の割り付けが絶妙。

 ちなみに入り口側の庭は、移設前の庭の姿を忠実に再現したらしく、適度な間合いと植栽のボリュームが見事で、この住宅の魅力さらに引き出しています。建てておしまいではなく、庭というアイソレーションも含めてしっかりプランニングされている。住宅では建物だけでFIXするのではなく庭も含めてデザインなのです。それも建築を引き立たせるだけの植栽ではなく、心地よさのバランスを掛け合っている庭なのです。この部分、設計する立場として間違いなく我々は失い過ぎています。

ちなみにこの「前川邸」は1973年にが引っ越したあと解体されていますが、「壊すのはあまりにももったいない」とのお弟子さん達の訴えにより、部材が軽井沢の別荘に保管されていたそうです。その後1996年に、「江戸東京たてもの園」に無事復元されました。建築の素晴らしさは、そのスケールや素材に触れない限り魅力を味わえませんからね。百聞は一見にしかず。本当に素晴らしい住まいでした。