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Designcafe™ の主宰者、平澤太のブログです。デザイン考、ライフワーク、インサイト、旅行などを不定期に綴っています。

Ho Chi Minh City 2016 Vol.03|クチのトンネル / 統一会堂

オフの日の見学。ベトナム戦争の戦跡。クチのトンネル、統一会堂

クチのトンネル  Dia dao Cu Chi

ベトナムのホーチミン市から車で1時間半、クチ県を中心とした全長200kmの地下トンネルネットワーク。ベトナム戦争中に、南ベトナム解放民族戦線(ベトナム・コンサン=ベトコン)によってゲリラ戦の根拠地として作られ、ここよりカンボジアとの国境付近までトンネルが張り巡らされていた。戦時中、南ベトナム解放民族戦線の兵士たちは様々な工夫をして、狭いトンネル内に身を潜めて暮らしており、当時の地下生活の様子や戦争中に使われた罠の数々が、戦争史跡公園として残されています。

クチのトンネルが出来るまでの経緯、闘い、その生活を各国語に分けられた場所で10分程度のビデオを見させられます。


ビデオを見る小屋の外観。この小屋も当時の造りを再現


地下ネットワークに繋がる地上口


避難する為の入り口。小柄なベトナム人しか入れないようにギリギリのサイズで作られている


避難する為の入り口。小柄なベトナム人しか入れないようにギリギリのサイズで作られている


避難する為の入り口。小柄なベトナム人しか入れないようにギリギリのサイズで作られている


避難する為の入り口。小柄なベトナム人しか入れないようにギリギリのサイズで作られている


地下道にアクセスする為の入り口。


トーチカを兼用した地下入り口。


ベトコンの兵士の休息を再現した蝋人形


ベトコンが使用した戦車


南ベトナム政府軍、アメリカ軍に対し使用したトラップ


南ベトナム政府軍、アメリカ軍に対し使用したトラップ


南ベトナム政府軍、アメリカ軍に対し使用したトラップの数々


ベトコンの兵器工場を再現した小屋


主にアメリカ軍が落とした不発弾や残置した砲弾から火薬を抜き取り、独自の兵器を手作りでつくっていた

米軍が落とした不発弾から火薬を抜き取り、自分たちが使いなれている武器に変換したり、ヘビの毒を鈍器の先端に塗るなどした戦術がメイン。弾切れに苦労しなかったことも勝因の一つと言われています。

クチの名物で戦争当時も主食として食べられていたライスペーパー作りを再現している


ベトコン兵士の戦闘着の制作を再現している小屋


クチの戦闘指揮所。当時はこの指揮所があちこちに設置されていた


兵士の食堂と厨房がセットになった小屋


食堂小屋の内部


ベトコンの男性戦闘員、女性戦闘員を再現した蝋人形

 ベトコンの組織抵抗の拠点として構築されたクチのトンネルですが、途中トンネル内部を体験するエリアや実弾を発泡出来るエリア(オプション)があり、戦争当時ベトコンがどのようなゲリラ戦を強いていたかが良くわかる構成になっています。トンネル内部は長期戦を考慮した作りとなっていて、寝室や台所、食糧庫、戦略室に映画館までもあったそうです。最終的にアメリカ軍はクチのトンネルを攻略できずに撤退します。ベトコン側の被害は多大なものでしたが、地の利を生かしたゲリラ戦術はその後の陸上戦の戦術で世界に注目されることになります。またある学者が、「世界中の技術者を集めても、クチトンネルを作ることは不可能」といわしめたほど多様性に富んだ地下道と評価されています。

ちなみに南ベトナム解放戦線は、厳密には全員共産主義になびいていた訳ではないのでベトコンと呼ぶのは間違いだそうです。ただ、解放戦線=ベトコンと名称の方が通称のように通ってしまっているのが残念。とホーチミンから着いて来てくれたガイドのフエンさんが仰っていました。

統一会堂 Dinh Thong Nhat

統一会堂。前庭からの全景

南ベトナム政権時代の大統領官邸であり、同時にベトナム戦争終結のシンボルでもある「統一会堂」1975年4月30日、この門をベトナム解放軍の戦車が、突入無血入場して事実上ベトナム戦争は終結しました。全世界で流されたその映像や写真でこの歴史的な建物を思い浮かべられる人も多いと思います。統一会堂は南ベトナムの大統領官邸としての華やかな側面と、軍事会議室や脱出のためのヘリポートなど戦争の負の側面の両方を垣間みられる事ができます。

ゲート脇にあるスーベニアショップを兼ねた管理棟


統一会堂のエントランス。いわゆる玄関ドア的なものが無く風通しの良い造り


北ベトナムの政府軍が突入に使用した戦車が前庭の脇に展示されています


内閣閣僚が使用した会議室


来賓客間。統一会堂は東西にシンメトリー状の構成になっていてそれぞれのサッシュを開けると風が通るようになっています


来賓客間脇の廊下


慶節室は今でもサミットなどに使われているそう


エントランスから3Fまでアクセス出来る階段。チークをふんだんに使用した贅沢な造り


開口部のディティール。花崗岩の装飾とスチールサッシュの組み合わせですが、サッシュが細かく仕切られており、繊細に開け閉め出来るようになっています


2Fバルコニーから見た前庭


南ベトナム大統領が使用した国内賓客応接室


ライブラリー室


官邸のリビング


コリドー前の敷石のパターン


3Fにある、大統領の官邸。コリドーで開放的な造り

現在の建物は二代目で、1966年にベトナム人建築家ゴ・ベト・チューによる現代建築として再建されたものです。建築的にもその当時の世界的な潮流の影響も感じ、大統領の宮殿としては非常にモダンな設えだと思います。

 

 

Ho Chi Minh City  2016 Reported by Futoshi Hirasawa

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Ho Chi Minh City 2016 Vol.02|Wind and Water Café / Cafe Quán Gió và nước

カフェ ジオ ヴァ ヌオックのガーデン

カフェ ジオ ヴァ ヌオック ( Wind and Water Café )

カフェ ジオ ヴァ ヌオック ( Wind and Water Café )は、ホーチミンシティーの郊外ビンズンにあるカフェ・レストラン。2006年にベトナム人建築家 Vo trong nghia(ヴォ・チョン・ギア)に依って設計、建設されたものです。日本では、ギャラリー間で開催された建築展「アジアの日常から:変容する世界での可能性を求めて」で紹介され、バンブーのみで組上げられたフラジャイルで土着的な建築が注目を集めました。Wind and Water Café はオーナーチェンジ前の名称で、現在はジオ ヴァ ヌオックという店名で営業しています。

僕らはオフの日にガイドと車を手配していきましたが、 ホーチミンシティーから車で一時間ちょっと。現地のTVで紹介されて以来、この距離をバイクやスクーターで訪れる人も多いそうで、ちょっとしたデートスポットになっています。 元々、ここの土地オーナーから場所を借り受ける形で、ヴォ・チョン・ギアが計画を立案、建築家自らがオーナー兼デザイナーとして運営していたのですが、土地オーナーが建物を買い取る形で今に至ります。現在は、レストラン化する為にキッチンを増築して準備している最中でした。

カフェ ジオ ヴァ ヌオックのエントランス部分。右側の建物はバイクやスクーター専用の駐車場でこれもバンブーのみで組上げられています。


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのバイクやスクーター専用の駐車場。内部はこんな感じ。。


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのバイクやスクーター専用の駐車場のバンブーウオール


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのガーデン


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのガーデン


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのガーデンにある、単管と硝子で出来たシンプルな噴水


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのガーデンテラスのペア席


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのウオーターガーデン側の棟


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのウオーターガーデン棟のストラクチャー


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのウオーターガーデン棟から水盤側を見る


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのウオーターガーデン棟から水盤面


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのウオーターガーデン棟のバンブーの柱


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのウオーターガーデン棟のバンブーの柱


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのキッチン棟のバンブーウオール


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのウオーターガーデン棟のストラクチャー


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのウオーターガーデン棟から水盤面


カフェ ジオ ヴァ ヌオック。上の写真の反対面


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのウオーターガーデン棟のバンブーの柱


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのウオーターガーデン棟のバンブーの柱


カフェ ジオ ヴァ ヌオックのドーム。元々バンブーのドームで覆われていたが崩れてなくなってしまった。笑

水盤に面したウオーターガーデン側は、華奢でストラクチャブルなバンブーによって組上げられており、粗く、フラジャイルな印象を持ちます。実際、エントランス脇にあったドームは、崩れてしまって(笑)今は仮設のシートで覆われていて、バーカウンターのみの凝っている状態。この辺のおおらかさもベトナムらしくて良いなと思いました。笑 ちなみに在りしのバンブードームはこんな感じです → Wind and Water Bar by Vo Trong Nghia。水盤面が視線に近い所まで上げられているので、水辺に近く臨場感があり、また噴水などによって水そのものに動きがあるので自然の中に包まれている感じを受けます。

建築の精度が粗い事もあり、土着的で人工的な作為を受けないのかも知れません。完成して10年近く建つ事もあり、周辺のランドスケープは馴染んでいて、良い意味で朽ちている部分があり、この建築のポテンシャルを感じました。

 

 

Ho Chi Minh City  2016 Reported by Futoshi Hirasawa

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Ho Chi Minh City 2016 Vol.01|ホーチミンとサイゴン

視察で訪れたホーチミン・シティ

あるクライアントの現地視察とオフを利用してベトナム、ホーチミン・シティ(旧サイゴン)に行ってきました。個人的には二回目ですが、前回が約20年前(!)ですから、街の様相も変わり、洗練されている部分と旧来の姿を残している部分が折衷していて、食事の美味しさと相まって強く印象に残りました。行く前は全く期待していなかった(失礼!)のですけどね、そんな感じで、現地視察以外の(仕事の守秘上、書けないので)現地のオフ時間で廻ったお店やレストラン、見学した建築を中心に書きたいと思います。

レンタイトン通り沿いにある日本人向けの飲食店街

ホー・チ・ミンとサイゴン。ベトナム戦争が終わって、北ベトナム(社会主義国家)に統一される前まで、ホーチミンシティはサイゴンと呼ばれていました。今でも、街の中心街である1区と3区は「サイゴン」と呼ばれていて、流行の発信地として「サイゴン流」とか呼ばれているそう。笑)ホーチミンは、統一ベトナムの中心的指導者「ホー・チ・ミン」から取られています。

クリエイターのベース「STATION 3A」


ホテル コンチネンタル・サイゴン

今回はあるプロジェクトの視察が目的だったので、街を散策する時間が限られていたのですが、到着初日は、特に予定がなかったので食事をとるためにサイゴンの中心地ドンコイ通り周辺を散策しました。この辺りは洒落たお店も多く(レストランの事は後ほど)、また旧正月期間ということもあり街は活気でにぎわっていました。そして、バイク&スクーターの凄まじさに圧倒されました。笑

フランス人建築家ウジェーヌ・フェレによりオペラ・ド・サイゴン劇場として1897年に建築されたサイゴンオペラハウス


サイゴンオペラハウスの裏手、ハイバートラン通り沿いにある飲食ビル。


サイゴンオペラハウスの裏手で見つけた、小さな商店


ハイバートラン通り沿いにで見つけたカフェ


サイゴンオペラハウスの裏手にある空地とカフェ。この辺りはカフェがとても多く、遅くまで営業していました。


上の写真の別アングル。


ホーチミン人民委員会庁舎は1908年に完成した、フレンチコロニアル様式の建築。


ホーチミン人民委員会庁舎は中には入れないものの、夜のライトアップがとても美しいです。


ドンコイ通り。旧正月期間で正月を祝うライトオブジェクトが街を彩ります。


ドンコイ通り。反対側を見る。


街のあちこちで露天商のおばちゃんが色々なものを売っています


ホーチミンシティ最大のバックパッカー通り、ブイビエン通り。バイクの交通量を物ともせず、食事を楽しんでいます。笑

二日目は、主に視察中心で予定を組んでいたのですが、午前中〜16:00で視察が完了したので、そのまま街の散策へ繰り出しました。ちなみに気温30度・・

レタントン通りにあるレックスホテル


街で良く見掛けるゴミ箱。東京よりゴミ箱の数は圧倒的に多いのに、ゴミが散らかっているのが残念


ハンヒュイ通り沿いの歩道


ホテルから眺めるビテクスコ・フィナンシャルタワー


ホーチミンシティはあちこちで絶賛工事中。仮設の電線がアートになっています。笑


ホーチミンシティはあちこちで絶賛工事中。仮設の電線がアートになっています。別の事例。笑


グエンシエウ通りで見掛けた風情のあるアパートメント。1962は完成年度のようです。


グエンシエウ通りで見掛けたゴミ箱のゴミ回収車。


ミネラルウオーターの空タンクを沢山積んで疾走するおじさん。とてもシュールな光景。


グエンシエウ通りで見掛けた落書き


ランタントン通りで見掛けた、ベトナム国旗バナー


グエンシエウ通りで見掛けたフレンチコロニアル風のファサード


ランタン通りで見掛けた露天商。フォー仕込んでいます


ハイバトロン通りの路面店


ハイバトロン通りにある、アパートメント。かなりカオスです。


ハイバトロン通りにある、アパートメント。別アングル。


ハイバトロン通りで見掛けた、デジタルサイネージ。この絵面に社会主義国家である現実を突きつけられます

フランス植民地時代に建てられたものから、ベトナム戦争終結後に建てられた建物まで新旧折衷の様相を呈していますが、その建物をうまく運用しています。特にアパートやマンションの遊休地をカフェやレストランに転用していて、若年人口の多さ(ベトナムは国民の半分が30代以下)と相まって勢いを感じます。今回の行動範囲は、ドンコイ通りを中心に半径600m以内を行き来しているような感じでしたが(笑)街に密度があり、見応えがあります。

フレンチコロニアル様式をベースにホーチミンシティの気候風土にマッチさせた建築。


グエンデュ通りに並ぶカフェとレストラン


サイゴン大教会。1880年フランス植民地時代に建設されたもので、ネオ・ゴシック様式の教会


サイゴン中央郵便局。1891年に郵便・電信施設として完成。鉄骨設計はギュスターヴ・エッフェルが担当。コロニアル様式の建築です


グエンバンビン通りに新たに出来た書店街。新書旧書問わず扱っている本屋さんが軒を連ねます。


グエンバンビン通りに新たに出来た書店街にあるカフェ

 殆どのカフェにはwifiを完備しており、スマホ片手に寛いでいる若者や観光客が多く、ベトナムの人々がとても親切なこともあってストレス無く観光が楽しめます。強いて挙げれば、移動手段が徒歩かタクシーかセオム(バイクタクシー)やシクロ(自転車タクシー)に限られてしまう事、バイクの交通量が多く秩序が余りないので道を渡るのが一苦労、な事くらいでしょうか。今回は行動範囲が狭かった事もありますが、ホーチミンシティは日中が30度越えの常夏なので、距離がある時は迷わずタクシーを利用しました。初乗りが12000ドン(60円くらい)ですし。笑 ちなみにセオムやシクロは交渉制なのでなれていない方にはおススメ出来ないとの事。またタクシーもビナサンタクシー(白地)かマイリンタクシー(緑)のどちらかに乗るのが安全。これ以外だとぼったくるタクシーもあるそうです。笑

日中何もしないで休んでいる人が多いなと思ったら、暑いのでお昼時には昼寝を取る習慣がある事を翌日のガイドさん(後述)に教えてもらいました。暑いですから体力を温存させる智恵なのでしょうね。

個人的には二度目と言っても、前回が20年前ですから記憶が擦れていて断片的ですが、街の活況感はもとより、個性的で洗練されたレストランやカフェ、今時の格好をした若者、観光客の多さなどが目立ち、とても印象に残りました。街の雰囲気も上海や台北、香港やマカオやシンガポールとは異なり新旧折衷な景観のバランスが面白く、非画一的で地区によって景観の秩序が大きく変わるのが面白かったです。

 

 

Ho Chi Minh City  2016 Reported by Futoshi Hirasawa

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