オフの日の見学。ベトナム戦争の戦跡。クチのトンネル、統一会堂
クチのトンネル Dia dao Cu Chi
ベトナムのホーチミン市から車で1時間半、クチ県を中心とした全長200kmの地下トンネルネットワーク。ベトナム戦争中に、南ベトナム解放民族戦線(ベトナム・コンサン=ベトコン)によってゲリラ戦の根拠地として作られ、ここよりカンボジアとの国境付近までトンネルが張り巡らされていた。戦時中、南ベトナム解放民族戦線の兵士たちは様々な工夫をして、狭いトンネル内に身を潜めて暮らしており、当時の地下生活の様子や戦争中に使われた罠の数々が、戦争史跡公園として残されています。
米軍が落とした不発弾から火薬を抜き取り、自分たちが使いなれている武器に変換したり、ヘビの毒を鈍器の先端に塗るなどした戦術がメイン。弾切れに苦労しなかったことも勝因の一つと言われています。
ベトコンの組織抵抗の拠点として構築されたクチのトンネルですが、途中トンネル内部を体験するエリアや実弾を発泡出来るエリア(オプション)があり、戦争当時ベトコンがどのようなゲリラ戦を強いていたかが良くわかる構成になっています。トンネル内部は長期戦を考慮した作りとなっていて、寝室や台所、食糧庫、戦略室に映画館までもあったそうです。最終的にアメリカ軍はクチのトンネルを攻略できずに撤退します。ベトコン側の被害は多大なものでしたが、地の利を生かしたゲリラ戦術はその後の陸上戦の戦術で世界に注目されることになります。またある学者が、「世界中の技術者を集めても、クチトンネルを作ることは不可能」といわしめたほど多様性に富んだ地下道と評価されています。
ちなみに南ベトナム解放戦線は、厳密には全員共産主義になびいていた訳ではないのでベトコンと呼ぶのは間違いだそうです。ただ、解放戦線=ベトコンと名称の方が通称のように通ってしまっているのが残念。とホーチミンから着いて来てくれたガイドのフエンさんが仰っていました。
統一会堂 Dinh Thong Nhat
南ベトナム政権時代の大統領官邸であり、同時にベトナム戦争終結のシンボルでもある「統一会堂」1975年4月30日、この門をベトナム解放軍の戦車が、突入無血入場して事実上ベトナム戦争は終結しました。全世界で流されたその映像や写真でこの歴史的な建物を思い浮かべられる人も多いと思います。統一会堂は南ベトナムの大統領官邸としての華やかな側面と、軍事会議室や脱出のためのヘリポートなど戦争の負の側面の両方を垣間みられる事ができます。
現在の建物は二代目で、1966年にベトナム人建築家ゴ・ベト・チューによる現代建築として再建されたものです。建築的にもその当時の世界的な潮流の影響も感じ、大統領の宮殿としては非常にモダンな設えだと思います。
Ho Chi Minh City 2016 Reported by Futoshi Hirasawa
- Ho Chi Minh City 2016 Vol.01|ホーチミンとサイゴン
- Ho Chi Minh City 2016 Vol.02|Wind and Water Café / Cafe Quán Gió và nước
- Ho Chi Minh City 2016 Vol.03|クチ要塞(クチのトンネル)/ 統一会堂
- Ho Chi Minh City 2016 Vol.04|3A STATION
- Ho Chi Minh City 2016 Vol.05|サイゴンの食事・SPA
※過去のDesigncafeのデザイン研修旅行記はこちらのページでご覧ください。